多様化ってワードがよく耳に入ってくるけど、実際身近に珍しいスタイルの人がいたら何の悪気もなくその人が傷つく言葉を言ってしまう人がまだまだ多いと思う。
それはなぜかっていうと、まだまだ世の中の人の”普通の概念が凝り固まっているから。
この間LGBTQの講義をきいていたら、”普通”じゃないことで人を排除しようとしたり、ふつうを押し付けられることで生きずらさを感じ、心に深い傷を負ったり健全な社会生活を送りにくい、という話をきいた。
誰が聞いてもそれはよくないよねって思うことを私達は無意識にしてしまっている。
人間って不思議なもので、実際に身近で起こっていることの対処には鈍い。
今まで自分が普通、という言葉を使ったときの記憶と誰かからふつうという言葉を言われたことを思い出すと、決まってポジティブな意味合いではなかった気がする。
私自身、相手を型にハメようとするとき(ハマってほしい、こうあってほしい)にふつうって言葉を使っていたし、人から言われるときもだいたいそうだった。
普通という言葉は響きの割に攻撃的なワードだと思うし
これからの時代”普通”という言葉自体が差別用語になりかねないなーと思う。