写真はこないだの撮影んときの。
あげている写真と記事の内容はだいたい関係ない🤣
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本当に強いものは柔らかい。カタいものはもろい。柔らかいものは弱いようでもしなやか。
水や空気と同じように薄い隙間に入り込み、岩のような固いものでも時間をかけて粉々にする。
そういう働きは静かで目立たなくて、人に気づかれにくい。
ヨガを10年程練習しているけど、
テーマは柔軟性だなぁとしみじみ思う。
それはもちろん身体の柔軟性でもあり、心の柔軟性でもある。
みんな目に見える強さや結果を評価し、みんな強く(固く)なろうと努力する。
でも強さや大きな結果の裏にはその強さと同じくらいの柔軟性があると思う。
そして人からは見えない動き(努力)だったりする。
大きな木を見るとき、地上にでた部分しか見ない。
でもその木が大きい理由は地上に出ている長さよりも長くて深い根っこがあるから。
陰陽論でいう、いわゆる陰の部分。
物事の始まりは必ず陰から始まり、それがベースになっている。それが自然の摂理。
現代はインスタントな商品、わかりやすくキラキラしたサービスがたくさんありふれて、ベース(陰のエネルギー)が弱い人が増えがち。
仮にそれで結果を得たとしても長続きはしないし、ダメージに繋がる。
どこかしらバランスが崩れる。
断続して結果を出し続けるにはしっかりとしたベースが必要になってくる。
それはヨガのアーサナの練習でもあり、日常生活にも繋がること。
当たり前の話だけどみんな忘れがち🤣
ヨガの練習はそんな当たり前のことを思い出させて実行させてくれる。思い出すだけじゃ意味ないからね。
インドのヨガっていうとスピリチュアル的な
それほんと?感(笑)な非現実的な(に思える)話が多いけど、
陰ヨガは中国のタオの思想が基になっていて同じ漢字の文化である日本人の私には現実的で腑に落ちた。
【一応誤解のないように、、、
スピリチュアルは海外では生き方を表すみたい。私達日本人が思うスピリチュアルって怪しかったり都市伝説的だったりするけど本来の意味は道とか生き方ってことらしい。】
20代前半までの私はとにかく強さ(固さ)を求めていた。
強くないといけないと思っていたし1人で生きていけると思っていたし(若い)結果至上主義だった。
ある意味今の私よりしっかりしていたし出来る子だったかもしれない。
今の私を見ると全く想像がつかない😂笑笑
当時そんな固まり尖っていた私に柔軟性をもたらし、力を抜き委ねることを覚え、生きやすくなるヒントをくれたのがヨガだった。
力を抜くことは怖くて難しい。
力を抜いたつもりでも、体が強張ることを覚えてしまっていると思ったように力が抜けない。
だからヨガのクラスで力を抜くことを練習する。
明らかに柔らかく、弱くなっていく(精神的に)自分を感じていた。でもそれが本来の私だったのかもしれない。
強い(と思っていた)自分が好きだったから抵抗を感じながらヨガを練習していた。
結局癒しが欲しかったんだと思うしたぶん心のどこかでは柔軟性を求めていた。
今思えばその強さが苦しみを引き寄せていたなぁと思うし私が執着していた強さは今後の人生であってもなくてもいいものだったなぁと思う。
今の私はまた違う課題がでてきている。
ヨガは柔らかくもするし強くもするから、方向性を定めてこれからも練習していく😊